胸奥日記β版 -blog編-

日々徒然なる記録 - 2005/11/01建立 -
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凡人として生きるということ (幻冬舎新書 (お-5-1))
若干酔拳気味。
とりあえず、本日読了。

私らの世代なら、一度は通るという押井先生の御本。
正直、あまり期待をして読んだ訳では無いのだが、それなりに面白かった。
恐らくは"若い世代"に向けた本だと思うのだが、今の私にも、それなりに響いた。

「自由とは行為である」
「自由とは、生き方の幅ととらえなおしても良い」

とか、自由について、少し考えた。ここは実感を持って同感と言える。
オヤジになって思うのは、若い頃と違って、今は思った事が割合とすぐに実現出来る。
それは金銭的な余裕だったり、経験的な蓄積だったりするわけだが、そういうモノが蓄積されていること自体が「自在」だったりするんだという点については、大変共感出来るものがある。

自由であるオヤジが、自由であるがために必要とするのが「動機」である訳だが、これについても一定は了解、かな。
社会と繋がっているからモチベーションが沸く、というもの共感。
そうなんだよね、「動機」って意外と内側からフツフツと沸いてくるように想起されるが、実はいろいろな枠組みを通じて外から与えられている事の方が多いように思う。

若者は失敗を恐れるな、とも一部にあるが、これは難しい。
若いが故にこそ、小さな事も自信の中で大きな面積を占めるんだと思う。
オヤジになって、全体の面積が広がれば、その中の失敗も小さなものへと縮小されていくが、若い内は無理だと思う。だからこそ、自身が述べているように、オヤジの方がしたたかなんだと思う。

なんとなくまとめると、
この本は、洞察の結果として社会・人間のいい加減さを理解し、それを利用しながら生きることを勧めている、と理解した。
いい加減なモノから身を守る術が、いい加減である、とも。

そして、社会がいい加減である、ということを把握し、理解し、認識するためにも、言葉が必要であり、重要である、ということ。
その言葉が規定するものが重要であるからこそ、その用い方は留意すべきであり、いい加減であってはならない、と、そんな事を読みとった。

何だかいい加減な文だ。
脳が痺れると、言葉もロクにまとまらない。
まとまらない言葉を、綴る。いつか、何かへの、私へ。
| 狩場不二朗 | 書物徒然 | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
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